統合失調症と共に35年 電子書籍 [ 滝上 敏明 ]買ってみました。
<p>内容紹介</p> <p>自分史(85)幽体離脱?</p> <p>二度目の精神科入院の時でした。薬は何という薬か分かりませんが、朝、昼、晩、1錠と、一日3錠飲んでいました。入院から2週間か3週間くらい経って気分が落ち着いてきた頃だと思います。担当の先生が、一日2錠に減らして見ましょうか?というので、そうですか、という感じで減らしてもらいました。そうすると次の日くらいだったと思うのですが、だんだん辛くなり、気が付くとホールの椅子に座ってテーブルに肘をついて肩で息をしていたのです。その間の記憶だと思うのですが、不思議な光景が記憶に残っています。<br /> 私の意識だけが、看護婦詰め所の中にあって、看護婦さん二人がすぐ側に見えます。その向こうは詰め所とホールを隔てる大きなガラスがあり、そのガラスの向こうのホールには、背中をこちらに向けて椅子に座りテーブルに肘をついて肩で息をしている私が見えているのです。看護婦さんは、ベテランの人と比較的若い人です。ベテランの人は、薬を減らしたからだよ、と言い若い人は、効くんだねえ、と言いました。以上の場面がワンシーンとなって記憶に残っているのです。<br /> 二度目の入院になったのは、きちんと薬を飲んでいなかったからです。このワンシーンの記憶のお陰で、私は薬を切らす事は出来ないと気が付く事が出来ました。それでもまだ、私は自分が病気だとは夢にも思わなかったのです。自分が病気だと気が付くには、発病から8年半かかりました。<br /> ※ 後記 精神科の薬は効いているんだか効いていないんだか分りずらいのですが、上記の出来事で、良く効くことが鮮明に分りました。</p> <p>自分史(115)病識の覚得</p> <p>発狂してから8年半ぐらい後の事だったと思います。その頃、私は親父といっしょに農業をやっていました。自分では、わからなかったのですが、少し悪くなっていたようです。薬を取りに行く時もJR(国鉄?)を使ったような気がします。<br /> 精神科の受付で、カルテを配ってあるいている女性に、今日は相談事があるのでベテランの先生にカルテを回してほしい、と言った記憶があります。その女性は一瞬 顔をしかめましたが、いつもは誰ですか、と聞いてきました。私はいつもは決まっていないのです、と答えました。<br /> その時、その女性のそばで医長(たぶん医長だった先生だと思う。)が話を聞いていて、女性に合図をしたようです。女性にうながされて、私は待合所、当時は廊下に長椅子がおいてあった、で順番を待っていました。呼ばれて診察室に入ると医長でした。話は少ししましたが、先生は話などろくに聞いている風でもなく、薬を変えて見ましょうと言い、知らない薬を出してくれました。<br /> 電車に乗るまで時間があったので、喫茶店に入りました。なんとそこで私はウエイトレスの女の子に話しかけたのです。用事ではない事で。私の性格ではあり得ない事です。今から思えば、単に舞い上がっていただけなのですが。<br /> 薬を変えたとたんに悪くなり、三日間ぐらい寝込んだようです。その時私は経験しました。被圧迫感、不安、興奮を。松本昭夫 さんの本で主な症状は、被圧倒感、不安、興奮だという事は知っていました。<br /> 私が経験した被圧迫感とは、文字どおり胸、あるいは心が圧迫される感じです。圧倒される感じだったら社会復帰はダメだったかもしれません。不安というのは意味のない不安で、無意識の底から湧き上がって来るような不安です。あえて意味づけしようとすれば、心臓が止まって、このまま死んでしまうのではないか、と言うような不安です。興奮とは、体中の神経が熱を持ったような状態になって、夜一睡もできないような感じです。三日間の間、どこかで寝ていたはずなのですが、気分的には一睡もできなかったような感じでした。<br /> それまでは、病院で薬をもらい、しかもこの薬は絶対飲まなければならない、と知っていながら、自分が病気だとは、夢にも思った事はなかったのです。この時は、自分は精神分裂病だったんだ、と初めて認識できた時でした。<br /> いくらかおさまってから、すぐ病院へ行きました。こんどは、分裂病専門の先生だったようです。この前の、医長が書いたカルテの処方の所に赤色鉛筆で大きくバッテンを書きました。そしていつものセレネースを出してくれたようです。その後は無事に回復して、次に病院へ行った時、この前、赤色鉛筆でバッテンを書いた先生が、バッテンの上から大きなまるを 1回、2回とこすり付けるようにして書きました。<br /> 最近、記憶があいまいになってきており、間違っている部分があるかもしれません。<br /> この医長だったと思われる先生には、いくら感謝しても、しきれるものではありません。<br /> ※ 後記 精神分裂病は今は統合失調症と名前が変わっています。</p> <p>自分史(206)運命の必然(縁起の法)</p> <p>10/05/15<br /> お釈迦さんの遺言は三つあります。一つ目は、自己を灯明とせよ、です。二つ目は、法を灯明とせよ、です。ここでの法とは縁起の法の事です。三つ目は、他を灯明とするな、です。<br /> 縁起の法とは因と縁から果が生まれ、それらの果がまた因となり、あるいは縁となって新たな果が生まれるという考え方です。因、縁、果は網の目のように織りなされて行くのです。同時に時空も生成されて行きます。<br /> 空(くう)という考え方があります。空(くう)とは、因、縁、果の網の目から逃れて独立して存在できる物などない、という考え方です。<br /> 龍樹菩薩の立場では、自己も因、縁、果の網の目から逃れる事は出来ない、すなわち空(くう)、となります。<br /> 縁起の法は因果律を含みます。縁起の法を前提とすれば、この世に偶然の入り込む余地は無くなります。運命は必然の物となります。<br /> 運命が必然では虚無的な気分になる人もいるかも知れません。しかし、運命が必然でも一寸先は闇という現実は動きません。親鸞上人が言っています。永遠の今を生きる、という事を。<br /> それでも、今自分の足下を照らす明かりが欲しいという人がいるかも知れません。そういう人の為に、お釈迦さんの遺言の一つ目、自己を灯明とせよ、があります。故中村元先生も、自己を灯明とせよと、これしか言いませんでした。説明もしませんでしたが。私も説明は出来ません。悟った人間ではないからです。<br /> 自己について言えそうなことは、ユングの言う「self」、島崎敏樹が言う「生命的感情」、これらがお釈迦さんの言う「自己」と同じような物だろうという事くらいです。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。